パーキンソン病の山登り“yucon”の登山と闘病の記録

難病パーキンソン病を患ってから山登りを始めた“yucon”の山行と闘病の記録

《それから  Ⅲ》

《それから  Ⅲ》

 

 ベッドに横たわっていると家族がやって来た両親、妻、子供たちだ。

両親は半分放心状態で妻子は喜びや心配や安堵感を通り越して怒りに変わっていた。両親については「親孝行登山」などと称して山行記録をアップしていたが何とも恥ずかしい話である。そんなものは一蹴するような親不幸をしてしまった。妻子については あれ程、気をつけろと言われていたのに耳を貸さなかったばっかりに迷惑を掛けてしまった。感動的な再会と抱擁などはおとぎ話の世界で 家族は全員呆れかえっていた。

 子供達は夏休み直前のいちばんわくわくする時期に長い間 不安な思いをさせてしまった。

 全く最低の父親である。

  その後、親戚の皆さんがやって来て下さった。その話しぶりから想像すると「これはどえらい騒ぎになっているぞ・・・。」と思った。自分ではもっと軽く考えていたのだ、親戚中を騒がすようなこととまで想像力の働かなかった自分が情けなかった。当然騒がせたのは親戚だけであるはずがなく 会社、近所、子供達の学校関係や妻の職場、我が家の関係する団体、今まで何らかで知り合ったすべて方々に及んだ。職場の上司にも来て頂き、いとこや友人、ヤマレコ友達の中には3日間も連続で捜索に携わっていただいた方も滋賀県警東近江署、東近江市消防組合、三重山岳連盟、親戚のおじさんおばさん、いとこ、妹と義弟、ヤマレコ友達・・実際に捜索に出ていただいた方々以外にも差入れをいただいたりとご迷惑を掛けてしまった人数を考えると100名を越えている。新聞の地方版や関西ローカルTVのニュースでも報道されており自分で騒ぎを起こしていながら その騒ぎの大きさに圧倒されてしまった。自分という存在はもう先週までの一小市民ではなくなっていた。

 

 入院初日の夜は何とか静かに過ごせた。口にするもの全てが最高においしかった。6日振りのまともな食糧だ、バナナ、アイスクリーム、チョコレート、スポーツドリンク。こんなにおいしかったのかと感動した。

 翌朝、病院の食事が出された。病院の食事と言えばあまり期待できないものである。看護師さんにスプーンで口に運んでいただいた。まずは麩の味噌汁だ 温かい食事は何日振りだろう。その時口に入った「麩」の味は忘れられない、最高のごちそうだった。ほうれん草のおひたしや温かいご飯、冷たい牛乳 味覚がビンビンと舌に伝わってくる。牛乳がこれ程味のある飲み物と言うことを初めて知った。ぺろりと全部平らげたので看護師さんもいささか呆れていたが 食欲があるのは良いことだった。

 

 一夜を越したが身体は全然動かなかった。少し寝がえりを打つにも激痛が走った。また胸から下は動かそうとしてもどうしても動かなかった もしかしたら自分は一生この状態なのでは・・・という不安が拭えなかった。

 入院2日目のことようやく上半身が軋みながらも動いてきた。夜ようやく便意をもよおした。看護師さんにそのこと訴えると「あぁ おむつの中でして下さい」そっけない返事だった。 いや自分はそんなことしたくないんですけどと言いたかったが 自分の体をかついでトイレまで運んでもらうのも遠慮してしまい 結局おむつの中で大便を出した。しかも大量にだ。

 二人の看護師さんに(年下の女性)におむつの大便の始末をしていただいている間 何ともいえない感情の爆発があった。こんな屈辱は初めてだった。「俺は周りに散々迷惑を掛けた上、糞尿のことまで他人様の厄介になるとは情けないにもほどがある‼」その夜、自力でトイレに行けるようにリハビリ特訓を開始した。最初二本足で立つことが全くできなかった。ベッドにつかまり床を這いながら部屋の隅にあるトイレまで30分以上かけて移動した。便座に座れた時はひと山登頂したような気分だった。その晩は2往復できた。そしてトイレで用を足すことがどれほど気持ちの良いものかを思い知った。

 翌朝、20代女性のリハビリ担当が病室に来た。リハビリの指導をと言うことだったが昨晩から自分で始めて何とか2足歩行ができかけている。今晩中に洗面台に自力で行き髭を剃るので明朝に期待してくださいと宣言した。そのリハビリ指導の女性とはウマが合ったのか長い間いろんな話をした。私の担当になる前夜自宅のテレビニュースで私ことが報じられていたそうで母親とニュースを見ながら「よく生きていたよね~」などと話していたそうだ。翌日出勤して担当患者のカルテを見てとても驚いたそうだ。

 私が入院している病棟が「HCU病棟」だそうだ。「ICU」のIの一つ手前のHという意味のようだ。要は集中治療室の一歩前と言うことらしい。その日は一日中リハビリに励みようやく洗面台まで歩いて行き髭を剃ってベッドに戻った。約10日間伸ばし放題の髭は1.5cmまでに長くなっていた。

 

 翌日、ぎこちなかった身体の動きに滑らかさが出てきた。どうやら元通りに向かっているようだ。近江八幡市民総合医療センターのスタッフの皆さんは 本当によく働いていた。みんな若くて手際が良くて明るくて そして何よりも患者の回復を心から願っていることが伝わって来た。午後からリハビリの指導員が来たので 約束通り髭を剃ったことを伝えると感心していた。リハビリの指導は不要と判断されたのか 雑談をして指導の時間は終わった。 山登りの話をすると 彼女は卒業旅行に「屋久島」へ行きとても感動したそうだ。私も一度は行ってみたい山でもある。

 

 夕刻、形成外科の医師が来るとのこと。膝の裂傷を見に来るそうだ。膝の様子を見ながら後ろで準備していた看護師に「ゾンデ」と言った。私は何をするか想像ができたので「やめて、やめて」と言うと、「ゾンデ」の一言でよくわかりますね と感心された。 私は医師に登山でも「ゾンデ」という道具があることや使い方等を教えると 笑いながら「傷口の深さを見るだけで 突くわけではない」と教えてくれた。ほっと安心したが、傷の深さを測るだけでもかなりの激痛だった。その後 生食(生理食塩水)で傷を洗われ(奥深くまで)また叫び声を出して激痛を耐えた。

 

 入院も3日が過ぎ身体も少しずつ回復を感じられた。食べ物は相変わらず美味しかった。3度の食事とリハビリだけの生活だった。