パーキンソン病の山登り“yucon”の登山と闘病の記録

難病パーキンソン病を患ってから山登りを始めた“yucon”の山行と闘病の記録

雪山(その3)

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 2月12日午前6時30分頃、家族あてに「今から下山する」というメールを最後に彼は消息を絶ちました。

 2月25日(土)三重県警の捜索が打切られたが地元山岳会が中心となり捜索が行われていることを知り捜索本部が設置されているという三重県いなべ市大貝戸休憩所へ行きました。時間も午後という事もあり誰もおられませんでした。大貝戸では何も状況がわからなったので「いなべ署」へ向かおうとすると男性が声をかけてこられました、遭難者が気になりここへ来たこと、岳連等に加盟せず単独行であること、共通点も多く少しお話して別れ際に「やぶ漕ぎネットの〇〇です」とHNを教えていただきました。私も「ヤマレコのyuconです」と名乗り、「今からいなべ署へ行ってみて捜索済み箇所の地図を見せてもらいます。」と告げて別れました。その後御池岳では数人の「やぶ漕ぎネット」のユーザーさんとお会いしました。それまでヤマレコ以外の登山関係のサイトを知りませんでした。「ヤマレコの〇〇です」と名乗ることに何か新鮮な感じがしました。普段仕事では会社名を告げて挨拶しますが「ヤマレコの・・・」なんて挨拶をするのは初めてでした。

 その後4月1日まで計4回にわたり「御池岳」を訪れました。いずれも雪の中の山行となりました。岳連の方の捜索に邪魔にならないよう付いて行ったことや単独、長男と二人で歩いたこともありました。登山を初めて最初の冬山シーズンは「御池岳」が全てでした。この時の経験が自分の肉体に変化をもたらします。山登りをしていても疲れにくくなったこと、歩くペースが速くなったこと、足の筋肉が増強されたことなどです。今は山歩きに苦を感じません。40歳を過ぎても肉体改造ができるのだなと感心しました。結局、何も手掛かりなく、ボランティアの届けもせず、捜索サイトに自分のレコのリンクを張っていただいただけでした。

 今回、捜索結果のブログを拝見し発見現場がボタンブチの直下であることが分かりました。私は2回目の入山の時にボタンブチで湯を沸かし呑気にラーメンを食べています。当然捜索ヘリからもたくさんの捜索ボランティアの方々も発見できない場所なので私ごときが昼食を食べながら発見できるわけがありませんが、どこかに「まさかボタンブチから・・・。」という考えがあった事は否定できません。もっと複雑な谷や雪庇の尾根、谷筋の踏み抜いた空洞、コグルミか真の谷か犬帰し谷か・・・と考えていました。

 憶測や想像での発言は控えたいと思いますが、このような誰もが知っている危険箇所の下で発見まで2カ月以上かかったこと、テントの中で発見されたこと等を考えるとかなり厳しいことを想像してしまいます。当然自分も含めてですが。

 山行の最中に「ヤマレコ」の事を意識することは否定できません。見る人が感動するようなきれな花を、美しいアングルで、珍しいものを、面白い文章で、自分が山に登って感動したことをレコで表現したい、それもまた楽しみのひとつですが、その意識が影響して行動がエスカレートする可能性もゼロではありません。

 

 「Nさんのご冥福をお祈りいたします。そしていつまでも忘れません。」

 「2ヵ月半以上の長期間にわたりボランティアとして捜索に携われた方々御苦労さま でした。今回、山登りの精神を実体験として感じることができました。」

 

                          雪山 完結  2012/5/4

                                  by yucon