パーキンソン病の山登り“yucon”の登山と闘病の記録

難病パーキンソン病を患ってから山登りを始めた“yucon”の山行と闘病の記録

お世話になりました。

《お世話になりました》

 

 入院四日目の朝、回診の時主治医から「最終検査の結果で異常がなければ、退院許可をするが どうする?」と言われた。願ってもないことだった。毎日 片道を一時間以上かけて通って来てくれる家族の事を思うと一日でも早く退院したかった。おそらく 看護師、リハビリ担当、他のドクター等の意見を聞いて総合的に判断してくれたものと思った。私にかかわってくれたスタッフが退院を推してくれたのだ。 実を言うとこの段階では自分自身退院は無理と考えていた。歩行も覚束なく全身の痛みは治まる気配はなかった。家に帰ると何かしら行動してしまい疲労から回復の速度が落ちてしまう。本当は入院して充実した設備の元、集中して治療にあたった方が良いのだが家族の負担を考えると早く退院することが第一と判断した。

 近江八幡総合医療センター HCU病棟の皆様 お世話になりました!

 

 病院には妻と二男が迎えに来てくれた。初めて病室を出てメインの受付フロアへ行くと想像していた病院とは全く違い 新築の新しい病院だった。外来患者も多く たくさんの白衣を着たスタッフが忙しそうに働いていた。

 病院の外に一歩出ると もう夏が来ていた。日付は7月25日だが自分の体内カレンダーと時計は7月16日で停まっていた。たった10日ほどの事だが実社会との距離は無限大に遠く感じ、すんなりと実社会に溶け込めるだろうか不安だった。

 自宅へ戻ると雰囲気が違っていた。遭難事故によって家の中がひっくり返っていた。それまでは家族4人で ささやかに静かに生活していたが 家は無茶苦茶になっていた。実際に散らかっているのではなく 雰囲気が無茶苦茶に破壊されていた。 一日も早く静かな生活に戻れるようにしようと思った。

  翌日からたくさんの方々がお見舞いに来てくれた。友人、近所の方々、20年以上会っていない親戚、小学生の時によく遊んだ「いとこ」に久し振りに会えてとても楽しかったがお騒がせして申し訳なかったと平謝りだった。

 勤務先からは更に10日間の休暇をもらい体調を万全にしてから出社するようにした。その間にお世話になった方々へお礼やお見舞いのお返し、心配しておられる方々への電話連絡、手紙・・・しなくてはならないことは毎日山ほどあった。リハビリも続けた。毎日歩行距離を伸ばし長時間の運動に身体を馴染ませていった。日々の目標に対して成果が確実に表われるのでリハビリは苦にならなかった。

 7月最終週に三重山岳連盟、滋賀県警東近江署、東近江消防署、東近江市役所の4か所を父親の付き添いでお礼の訪問をした。一日がかりで4か所を訪問するのは大変だったが どこへ行っても歓迎していただき 生還したことを本当に喜んで下さった。

 その後 親戚や友人へはお礼訪問やお礼状で 実際に捜索してくれたり親交のあったヤマレコユーザーにメールで感謝と無事と順調な回復を報告した。

 

 8月3日 ようやく職場へ復帰ができた。働くことの喜びを感じた瞬間だった。

 

                                つづく