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パーキンソン病の山登り“yucon”の登山と闘病の記録

難病パーキンソン病を患ってから山登りを始めた“yucon”の山行と闘病の記録

山岳遭難記録 ~鈴鹿 御池岳ゴロ谷での6日間~

Nさんの遭難についてブログを完成させた直後の7/16~7/22の6日間、今度は自分が遭難者として御池岳のゴロ谷に閉じ込められることになってしまった。

 多くの方々のお力により脱出することができ この様なブログを書くことができた。

「ヤマレコ」の記録は事故直後の生々しさを残すためほぼ原型からは触らないが、こちらは記憶がよみがえり後に思い出したことを加筆、修正し より詳しいものにしました。

 

《遭難記録》

【 一日目 ~2012年 7月16日(月)~ 】

 

 海の日の3連休最終日、前半の2日間とは変わって天候も良くなったので、以前から登ってみたかった土倉岳-御池岳-T字尾根の周回ルートを目指し支度をしたが 自宅を出る頃には当初の予定より大幅に出発時間が遅れたので途中撤退のつもりで行こうと言うのと「また山行くの?」という家族のバッシングを敬遠して家族宛てのメモには「ノタノ坂、土倉岳、T字尾根、山は登らずに帰ります。帰りは17:00頃」と書いて自宅発。「要は登山ではなくハイキングですよ」という姑息なメモ。このメモが後ほど問題になるのだが妻は朝メモを一読して「山に登らないのだったら必要がないもの」と判断して捨ててしまう。そして意地悪にもその日は祭日にもかかわらず可燃ごみの収集日であり午前8:30にはメモは他のごみと一緒に収集されてしまった。この時点で私がどこの山に行こうとしていたのか手掛りが無くなってしまう。

 多賀町霜ヶ原の林道よりミノガ峠を経由してノタノ坂駐車場へと計画していたがミノガ峠を過ぎしばらく進んだところもう少しでノタノ坂登山口というところで林道が土砂で埋まっている。とても大規模な崩落だ。ここに来るまでもかなりきわどい状態の林道をすり抜けてきたが さすがにこれ以上は無理、林道入口からここまでの約1時間30分をロスしたことになるが仕方なく同じくらいの時間をかけて来た道を戻り 犬上ダム沿いを上り君ヶ畑経由でようやくノタノ坂の駐車場へ到着、たくさんの自動車が駐車してあったが大半は川原でBBQの団体さんばかり、時刻は既に10:30であった。唯一独りの先行者が支度をされており間もなくノタノ坂方面へ入って行かれた、それを見てこの時間からでも大丈夫かと少し安心し自分も行けるところまでは行こうと準備を始める。メモに書いた「山は登らずに・・」のくだりは「出発時間も遅く本格的には登山できない可能性がある、ノタノ坂から樹林帯を少し歩きどこかの稜線や分岐に出て時間を見て下山しようというあいまいな魂胆が「山は登らない」というメモの文章になってしまった。その一行がなければ妻はメモを残し捜索も車を探すところから始めずにいきなりノタノ坂、T字尾根へと早期にエリアを絞って捜索できたはずだ。悔やまれる一行だ。

 支度を済ませて登山口へ向う、林道をしばらく進むと川を渡る鉄の橋が(写真で見たやつだ!)あった。林道でも既に山ヒルを数匹確認しており少し不安を感じながらも橋を渡り薄暗い樹林帯へ入って行った。小さな沢沿いの杉の植林帯の道を進む、途中いくつか鉄の梯子のような橋を渡る、中には頼りない橋もあったが危険を感じることはなかった。沢沿いの樹林帯であり山ヒルの危険地帯であるが目立った被害はなし、しかし地面には常に数匹が首を振ってダンスをしている。先週からの新兵器アルコール除菌スプレーを一吹きすると速攻で息絶える、相変わらず効果は絶大である。薄暗い樹林帯も終わりかけ見上げると明るい稜線が見えてきた、周囲も明るくなり少し安心していたら首筋にチクリと感じた何だろうと触ってみたら「山ヒル」であった、若干血を吸われたようだ、自身初めての吸血被害だが首筋をやられるとは!幾分がっかりしながらもレコのネタができたなぁなどと呑気なことを考えて稜線に出た「ヒキノ」方面との分岐だ当然茨川、土倉岳方面へ進み、さらに茨川分岐を経て高度を上げると稜線に出て鉄塔の下に到着した。鉄塔の下でしばし休憩し左右どちらへ進むのか悩んでいた方角的には左なのだが少し進んで新入不可のケルンに気がつく、間違いない進行方向を明らかに人工的に木の枝がふさいでいる。すぐに戻り右方向へ進むと2番目の鉄塔が見えて来て更に稜線上を進むと程なく土倉岳山頂へ到着、山頂の標識を探していると三等三角点があった。見晴らしも無く樹木も乱立しておりあまり快適な山頂とは言えないがピークを踏破してみたかった御池岳の衛星峰「土倉岳」にとりあえずは登頂成功。予定より遅れてはいるがこの時点でまだ13時頃、このまま御池岳を目指しT字尾根経由で下山することに決める。土倉岳を北進し一旦下り登り返すと御池岳の南東の斜面が見えたかなりの急峻だ その前に痩せ尾根もある。風も出て来て少し緊張するが痩せ尾根を慎重に渡り急峻の直下へ比較的下草が生えていて足もかけやすかったが角度は急だ。ちょうど「イブネ」山頂の直前にこのような急峻を経験したことがある。テーブルランドの端にようやく到達し一週間ぶりの御池岳を眺める。しかしT字尾根経由で下るのにどれくらいの時間がかかるのか分からず 山頂は先週同様ガスが濃いので長居は無用と決め直ぐにT字尾根の取付きを探し始めた。テーブルランドの南端に沿うように歩けばいつか取付きを見つけられるはずだ。カレンフェルト群を気を付けて進むと一匹のリスを見つけた。岩の上でじっとしておりシャッターチャンスだ!今まで幾度となくリスには遭遇したがカメラを構える間もなく姿を消しており今回は逃すまいと一眼を構える。ズームを最大にして撮影に成功、3枚は確実に取れているはずだ。リスの写真が撮れるなんてラッキーだなぁなどとニヤケながら程なく取付きを発見、グリーンのテープがいくつも張ってあった。そして下山開始、取付きを過ぎた後一旦違う尾根に乗ってしまったが、すぐに気がつき、来た道を戻る。注意深く見るとテープや踏み跡がありそれについて行くと正しくT字尾根の縦の尾根に乗ることができた。自分の感覚よりもう一本東にあるようだ。段々とテープや踏み跡が増えてこのまま下まで導かれそうだと楽観視していた。

  

山岳トラブルは残り4分の1の行程での発生率が極めて高いと言うが今回も同じことが当てはまった。

 

 順調に下山が進み後はTの突きあたりを左へ折れて林道への取付きを下りれば今回の山行は終了であった。しかし、ここからが私の地獄の始まりであった。

 

 T字尾根を突き当たる前に西方向から今朝見かけた先行者(以後R氏)と出会う。「さっきと同じ所を通ったみたいで 同じ手拭いを拾ったんだ」私「同じところを2回も行かれたんですか」 R氏「そうしたつもりはないけどなぁ」私、山と高原地図を出して「この小ピークを過ぎて突きあたりを左へ進めば林道への下山ルートがあるはずです。」R氏「Tの突きあたりの標高が書いた看板は見たぞ!」私「そこまでは行かれているんですね、じゃあそこから左、東へ進まれましたか?」R氏「進んだつもりだが、西へ進んだのだろうか?」私「じゃないですかねぇ」「今度は一緒に行ってみましょう」 このようなやり取りがあり以降同行することになった。

 この時点で自分の緊張度が一気に下がって行った。見た目は私より5歳以上は年上、服装や持ち物から見ても山を歩き慣れた雰囲気、会話の中でも「旺文社の登山コースは全部制覇した。」 この様な言葉や態度に私はR氏に全てを預けてしまった。自らテープや踏み後を確認せずR氏との雑談に夢中になる。気がつくと二人で迷っていた。R氏「迷ったねぇ、もう時間もないし この先に沢の音がするンで沢へ下りて川を下ろう、ちょっと急だけど・・・」力強く言われ 私は付いて行くしかなかった。沢への取付きは問題なかったが かなりの急峻だった。残り5m程のところで最初の滑落、2~3回転しながら沢へ落ちてしまう。首からぶら下げていた一眼レフが気になりスイッチを入れたが普通に作動したのを確認して安心する。ほんの少しの打撲で済んだようだ。R氏は私に声を掛けて大事でないことを確認すると先行して沢を下って行った。そして沢の出口を覗いて戻ってくるR氏「出口は滝でダメだこりゃ。」「自分ひとりなら滝を巻きながら下りられないこともないけど・・・。ちょっと無理だなあ」、「もう一度登り返して稜線に出てみよう」滑落してまで下りたのに稜線へ登り返すだって?しかし夕暮れも近づいている。「直ぐに稜線に出るだろう」というR氏に従い登り返す。途中沢から少し登った所で足を滑らし両膝を岩に強打した。かなりの痛みだし出血もある。しばらくうずくまっていたが何とか曲げ伸ばしをして膝の感覚を戻して登り始める。登る途中もかなりの薮漕ぎでR氏に若干遅れるが何とか付いて行く。やっとのことで稜線に出るがまだまだ先へ進む必要がありそうだ。ある程度進んだところで二人で休息を取る。考えてみれば水分は取っているが朝から何も食べていない、「バランスパワーを2本食べ残りをR氏に薦めるが遠慮される。そこで自分には持病があり薬無しでは身体がもたないことを説明する。私が登山を始めたのも病気がきっかけだということなどを話すとR氏も山を始めたきっかけを話してくれた。詳細については書けないがよく似た境遇だということだ。

 休憩を終えて再び歩きだした直後、R氏のザックがきちんと閉まっていなかったのか水筒が落ちて斜面を滑って行った。まだ見える場所で止まったので拾いに行かれるかと思ったが「まあ いいや」と諦められる。(これも悔やまれるミスのひとつであった) 尾根に出るとのつもりであったが なかなか尾根が現れない、R氏も高度計を見ながら「もう出ていいころなのに・・」と首をかしげる。出ないどころか勾配は急になるばかり、辺りは薄暗くなり内心「どうなるんだろう?」と不安に駆られていると大きな岩がありR氏は右に巻いて行く、私は巻くタイミングを逃し岩の左側を直登する。さらに先へ進むと傾斜が一段と急になり樹木も少なくなってきた。

 薄暗さが増して辺りを見回し遥か上の稜線らしき所を仰ぎ見た。そして先程から頭の中に浮かんでいる ひとつの可能性が確信に変わっていった「今、自分が暗闇の中登り続けているのは御池岳の南斜面でおそらく位置からすると“ボタンブチ”の直下なのだ!」「ゴロ谷の第五尾根か第四尾根か、四の沢か?」いずれにせよ4/28にNさんが発見されたところからそう遠くない位置だ。見上げると遥か先にボタンブチらしき所が見える。もうとっくに日は暮れていたが立ち止まりながらも上へ上へと登っていくとボタンブチ直下15m程の所に僅かなスペースがあり今夜はそこで一人ビヴァーグとする。

 山頂からはR氏の呼ぶ声が聞こえる「お~い、にいさぁ~ン」ヘッデンを点灯させて自分の居場所をアピールしている。私「ここで~す」「今日はここまでにしま~す。これ以上は危険で~す」バーナーを点火させて 自分がここにいること、夜明け後に活動再開すると返事する。バーナーの火を見てR氏も安心されたようだ「良かった、落ちてなかった」「俺もここでビヴァーグすっからぁ」そう返事をするとボタンブチから10m程東の地面にシートを広げて横になったようだ。

ボタンブチの直下で一夜を明かす人間は少ないと思うが、運よくスペースがあったものだ、もしNさんがこのスペースで滑落が止まっていたら助かっていただろうに・・ 眼下には雲海が広がり頭上には満天の星空、月明かり、星明かりのおかげで全くの闇夜ではない、ホタルの群れが飛び交う見たこともない美しい光景だった。

 R氏は私のことを心配してか定期的に下にいる私に声を掛けてくれた。私は都度返事をしたりホイッスルを吹いて応えた。

 ボタンブチの直下の岩場といえど御池岳である。油断していたら山ヒルに手首を2か所やられていた。遥か下からは雨音がする。雲海の下は雨が降り続けているようだ。 

 ボタンブチの下で長い夜を眠れずに夜明けが来るのをじっと待つしかなった。

 

 

 

 【 二日目 ~2012年 7月17日(火)~ 

 

 夜明けより登り始める。朝の風が妙に気持ち良く、雲ひとつない青空であった。ボタンブチ直下はカレンフェルトのガレであり力を掛けても良い岩とそうでない岩との見極めが必要だ。両手両足がかかる岩の一つ一つを確認しながら少しずつ登っていく。ここまで来ての失敗は許せない、少しでも疑問の残る岩には一切身体を預けることをしなかった。残り7~8m程の所で全ての岩が信用できなくなった。R氏にロープを渡してもらい慎重に慎重を重ねて上へ進む、合計3回ロープを掛けなおしてもらいゴールテープを切るように山頂へ倒れ込んだ「もう落ちる心配はないよなぁ」声には出さなかったが張りつめた神経の繊維一本一本が緩んでいくのが分かった。到達後しばらくへたり込んでいたが 今日が平日で会社へ行かなければならないことを思い出して立上がり振返って慰霊碑に手を合わせる。慰霊碑の向こう側を覗き見るとほぼ垂直に崖が下へ向っている。こんな所を登攀具なしで夜間から早朝かけて 登り切った自分が信じられなかった。

  自分の携帯は既にバッテリー切れでR氏の携帯より自宅に電話、留守電に「危機的な状況は脱したのでこれから下山します」と録音。(この時にどこの山の どの位置にいるか 自分の居場所をなぜ言わなかったのか悔やまれる)

 二人とも会社の始業時間に間に合わせたくて下山を急ぐ、しかしその焦りがミスを誘発していく、この時点で二人が持っている水分はゼロ。どこから帰るとの相談に何故か私はT字尾根を押してしまう、R氏はここまで大変なことにしてしまった責任を感じてか私の意見に反対されない。この日の朝は雲ひとつない快晴で迷いようがないのだが二人してテーブルランドを彷徨い歩きなかなか目的の取付きへ近付けない、途中で両足の親指付け根の靴ずれの痛みが耐えられなくなり座り込んでテーピングを巻く、休憩中にR氏から飴を一ついただくが二人とも乾いた口の中では飴もなかなか溶けなかった。

 先に土倉岳の取付きを見つけたので「土倉岳のコースでもいいよ」とR氏、かたくなにT字尾根という私、昨日の事もあり反論できないR氏、このような状況であった。やっとのことでT字尾根の取付きを見つけて下っていくが昨夜の雨で地面は泥濘、踏み後は消えている。何度も悩み一度下ったルートが間違いであることに気付き登り返す。自分が相当混乱しているのがわかる。R氏がテープや目印がないという。自分にはテープが見える。しかしR氏は見えないという。脇の石を見ると「T」の字が横を向いて進行方向を指している。「ほら、目印があるじゃないですか!こっちへ進めって書いてありますよ」自信満々で石を指さす私、R氏は何も言わない、しばらくしてまた道が違うことに気付き「おかしいな、Tの字が横を向いてこっちを指してたのにねぇ」と言うとR氏は「いいや、そんな石は無かった」と言う。そうなのだ、今から思えば この時点で自分は狂い始めていたのだ。しかしR氏も「こいつが狂っているのであって自分は狂っていない」と主張できる根拠や自信が無いのか強く反対意見を言われなかった。

 二人とも未だにテーブルランドから少し下りたところでもたついていた。自分は体調のこともあり何度もR氏に先行を依頼するもなかなか行こうとされない、やはりR氏も自信を喪失しているようだ。「キンキン」とクマ除けのような音がしている。私は他の登山者が歩いているものと思って「すいませ~ん」と叫ぶ、音が近づけど姿が見えない何度も「お~い」と叫ぶ。R氏は黙って見ていた。登山者の姿は見えず仕舞いだった。「せっかく道を聞こうと思ったのに!」と言う私をR氏は黙って見ていた。

 長い尾根を下る道があり私は自信満々に下って行ったがR氏は留まって様子を見ていた。とことん下った後、間違いと分かり半泣きになった。かなりの急峻を登り返さなければならない、尾根違いだ。登り返そうとしても身体が悲鳴を上げていた。それもそうだ、昨晩は殆ど眠れていない、その上水分補給が無い、ルートミスの繰返しで心身ともに限界だった必死で登り返していると遥か上でR氏が正しいと思われるルートを進んでいった。その後R氏の姿を再び見ることはなかった。

 当時は自分が正気で無いことなど考えもしなかった。自分にはテープや目印が見えるのだ。「キンキン」他の登山者のクマ除け鈴の音が聞こえるのだ。(後でわかったが「キンキン」の正体は鳥の鳴き声だった。)

 その後何度もルートミスをして、ようやくT字尾根の真中(P967)に来た。正午を過ぎていたように思う。テーブルランドからT字尾根のP967までに約6時間を要している。どう考えても異常だが、本人は必死だ。薮の中でもガスの中でもなく晴れた日の普通の登山道で迷っているのだ。

P918へ向うのにどちらへ進めばよいか分からなくなり、P967を少し下りては戻りを繰り返す。親子連れや夫婦の登山者を見かける。東西南北全ての方向に目印があり踏み跡があり他の登山者が進んで行かれるのが見える。終には道路案内板のようなものまで見える。国道などにある青色の大きい奴だ。これは間違いないだろうと進んで近寄ると案内板P967を30m程下った所で遂に倒れ込んだ。ホイッスルを吹き助けを求める。何度も何度も吹いて「助けて下さ~い」と叫ぶが誰も来ない、遥か上の稜線に人の気配がする学生のような登山者がこちらを見ている。少し近寄りかけて躊躇している。その影に向かって叫ぶがいつの間にか消えていた「水だ、水さえあれば、一口でいいんだ!」少し横になると体力が戻って来たもう20mほど登ってまた倒れ込んで助けを求める。しかし反応はない、30分ほどしてP967まで登り返して登山道脇に倒れ込む だれか通りかかったら水をもらおうとひたすら待つが誰も来ない、自分のいるところを気がつかれないように迂回して逃げていく家族連れの登山者がいる。「くそ!なんという親だ!困っている人を助けるような教育をしないのか!」他にも夫婦やカップル、父子連れの登山者がいる気配がするのだが誰も助けてくれない・・・。その後もホイッスルを何度も吹き「誰か助けて下さい!」と呼びかけるが反応は無し、遠くの物陰からこちらの様子を窺がう気配だけがする。

 そうなのだ、全て幻覚なのだ。3連休明け平日(火曜日)のT字尾根に一体何人の登山者が訪れるだろう、一人か二人いれば多い方でゼロの可能性の方が高いはずだ。ましてや上級者向けのコースに親子連れなどいる訳がない。

 15:00を過ぎ 脱水症状が進行しており「水」への思いは募るばかりだ。いくら待っても誰も助けてくれない、フラフラと立上がり再び正しい道を探す。カップルの登山者も迷っているようだ(おそらくこれも幻覚)「どっちだろう」などと相談している。「知るか!」呟いて 川のせせらぎのする方へ進んでいく、少々急だが下に沢があり水が飲めそうだ!ちょっと下ればいいと思っていたがなかなか川のほとりに着かない。下る途中で思案する「また登り返すのが大変だ」迷っていると川岸に水量を計測する機械の制御盤のようなものがあり係員のような女性が機械を触っている。よく見ると手前にもその係員達の使っているトイレ(便器だけ)やセンサーのようなものまである。しばらく斜面に座りセンサーに向かって石を投げて反応を窺っていた。「急な沢だが下りて水を飲みその後係員に自分の存在を知らせて助けを呼んでもらおう」自分の中でそういう計画が出来上がり斜面を降りていく。しかし想像以上の急峻で音はすれども川が見えない、立木にロープを掛け一つ下の立木まで降りることを3回繰り返したがついにはロープ無しでは降りられず木にロープをかけては次の木にと下降するがついにはロープを掛ける木がなくなる。しかし下を覗きこむと美味しそうな水が流れている沢が見える。もう止まらない、命と引き換えでも水が飲みたくなる。自分の足元の木にロープを掛けてゆっくりと下降するが目いっぱい延ばしたところで沢まで3m以上あるだろうか、「一か八かだ!」地面の柔らかそうな場所を選んで落ちた。斜面にぶつかりながら落ちて行き、地面に叩きつけられて倒れ込んだ。しばらく動けなかった。「うぅ~っ」全身が痛む、体は大丈夫か?ようやく少し上体を超し川の水を手ですくい口へ運ぶ、「うまい!」生き返った瞬間だった。浅い沢だったので顔を突っ込み「水」の有り難さを感じる。崖の直下なので落石の危険を感じて谷の中央に移動した。身体中にダメージが残り今落ちた崖を登り返すのは困難な状況だ。時刻も16:30をまわり時間的にも困難だ。

 今夜体力の回復を待って、明日朝から行動しよう、水量計の係員が来るかもしれないしと思いながら辺りを見回すとさっき機械があったところはただの木が生えていた、幻覚だったんだ・・と思いつつも安心したのか いつの間にか眠っていた。ふと気がつくとまだ明るい、???、何だか顎と首筋の間に違和感を感じて触ってみると「ニュルッ」ヒルだ!しかもでかい 慌てて剥がして遠くへ放るが血が止まらない 4、5センチはあっただろうか、私の血を存分に吸って大きさも2~3倍に膨れ上がったようだ。タオルで何度も拭いてみるがなかなか出血が止まらなかった。

 タオルで出血を押さえつつ 暗くなるまでに湯を沸かしラーメンを食べる。久々の食事だ。残る食料はマッシュポテトのみだ。

 谷底での一夜も初めてではあるが野宿も一回経験すれば開き直りである。真っ暗な闇の中ヘッデンを忘れたことや、非常食が乏しかったこと、ビニールシートもないことを後悔したが、無いものをねだっても仕方なく、レジ袋などを工夫して代用する。しかし時計にバックライト機能が付いてないと本当に不便である。日が暮れると何時なのか全く分からない。昨日のボタンブチと違い谷底は全くの闇だ、月明かりも届かない。横になっていると「コツコツ」と足音が近ずいてきた。鹿だ!頭を踏まないでね、すぐそばを通って川で水を飲んでいる。じっと息を殺して待つしかなかった。しばらくすると帰って行ったがものすごく長い時間に感じた。

 深夜谷底から稜線を見上げると上に人の気配がしている。どうやら捜索隊が自分を見つけてくれたかと思いこちらの所在もアピールするためガスバーナーを点火し「おーい、おーい」と叫ぶ。「明日の朝が楽しみだ」などと考えているうちに眠ってしまった。

 

 

【 三日目 ~2012年 7月18日(水)~ 】

 

 前夜自分を確認してくれたという安心感もありひたすら救助が来るのを待つ、また体へのダメージも残っており 自分を見つけてくれるのは時間の問題と言う根拠のない自信が心を支配し具体的な行動に駆り立てない、自分が今いる位置から下へ50m程行けば日が射すヘリからも目立つ場所があるのに積極的に移動しようとしない、そうこうしているうちに上空をヘリが通過していった。夕方冷静に考えて初めて昨夜の深夜の捜索などあり得ないことに気がつく、全く棒に振った一日であった。

 そしてここで大きなミス、バーナーとボンベをつないだままコックが少し開いていたようだ、ガス臭いと気がついたときは既に遅くガスボンベは空になっていた。唯一の火をコントロールする方法を失った。

 この日、一日を水だけで過ごした。全身がまだ痛む、そして夜中に眠れない分昼間に睡魔が訪れる。何度も眠るが短く浅い眠りだ、睡眠不足と栄養不足が心と体を蝕んでいく。

 夜がまた来たが何の進歩もない一日だった。谷底でボケ~ッと過ごすだけの一日だった。今思い返してもなぜそうだったのかわからない、危機感が全く湧いてこなかった、地図さえ広げようともしなかった。「みんな心配しているはずだからここから早く脱出しよう」そういう気持ちがどうしても湧いてこなかったのだ。「まぁ 今日一日くらい いいかな」どちらかと言えばそういう気持ちが支配していた。

 自分の呑気さからくるものか? 極度の疲労から来るものか? 心が現実を直視するのを拒絶しているのか? 理由がどうなのかわからない、そしてそれが良かったのか、悪かったのかもわからない。この日に私の家族が捜索願を警察に提出しており 午後より捜索が始まっていたようだ。まだ私がどこの山にいるかもはっきりしていなかったのだ。

 日没後は眠るしかなかったが、少し寝ては目覚めての繰り返しで夜が明けかけてから1~2時間眠ることができたが、熟睡とはほど遠いものであり疲労は積み重なる一方であった。そして沢の水だけの生活が積み重なる疲労を充分回復させる筈が無かった。

 

 

 

【 四日目 ~2012年 7月19日(木)~ 】

 

 

 朝起きた時から頭の中で今日は救助隊が来る日と言う幻覚が始まっており自分はただ待てばいいだけというモードになっていた、行動もそのとおり制御される。いつでも救助されるよう荷物をまとめてスタンバイしておく。上流の方で声が聞こえた、どうやら私の救出部隊が来たような気配がする。「名前を尋ねられるのかなぁ」「後何時間ぐらいだろう」「救出されたらどう弁解しようか」「何を食べようか?」などと思いを巡らせるも一向に救出活動が具体的に進まない。隊員らしき人影が自分の廻りをウロウロとして さっき気配のした上流の方へ戻って行った。「もうすぐだ、もう少しの辛抱だ」自分にそう言い聞かせる。

 正午を過ぎ少し不審に思うが 上流の方から相変わらず声が聞こえて何か作業を進めているようだ。 

 気が付くと15:00になっていた。さすがに痺れを切らして上流のざわついた所へ行ってみると何も無かったし誰もいなかった。「しまった!また幻覚だ!」と気付いてそこで立ち尽くしていると、30m程下流の さっきまで自分がいた場所の真上をへりがホバリングしている。「お~い」と駆け寄り近ずこうとした時にはヘリは上空へ消えていった。自分がいたところは木々の隙間が広く開いており 上空からも見通しの良い場所であった。 その場でじっとしていれば発見されていたかもしれない いや間違いなく発見されていただろう。

 これで2日間連続で時間を無駄に使ったことになる。ケガの影響での全身の痛みも治まってきており「明日は幻覚に惑わされないように、気をしっかり持とう」と誓って脱出方法を考える。まず「山と高原地図」と「ロープ」を最初に落ちた場所へ取りに戻った。あの沢に落ちた時、ロープと地図を崖の下に落としたのだが、落石が怖くてそのままにしておいたのだ。幸い両方ともそのままの状態で落ちていた。元の場所に戻り2万5千分の1地図と先程の地図をよく見た。しかしコンパスは使わず まだこの時は自分の現在位置を間違えていた。間違いに気付かず考えた脱出方法とは「沢を下って本流と合流し堰堤や小規模の滝を下り川沿いに林道があるところまで川の中を歩いて林道へ出て駐車場へ戻る」という稚拙なものだった。

 当時の私は大真面目で「明日には確実に脱出できる」と期待だけが頭を駆け巡っていた。脳も栄養素が減少すると働きが悪くなることがよくわかった。夕暮れになり横になると手首を山ヒルが這っていた。既に両手を10ヵ所以上ずつ刺されている。以前なら身体についていようものなら大騒ぎだったが いまさらの感だ。手首を這う山ヒルを観察してみた。尺取り虫のように動きながら刺し場所を探っている。狙いを定めたら大きく口を開けて、足元を踏ん張って皮膚にガブリと噛みつく それはもう全身の力をめいいっぱい使っての攻撃だ、それを傍観するわけにもいかないので「すまんな」と言いながら反対側の手の中指で思いっきり弾き飛ばした。意外と遠くまで飛んだので少し笑ってしまった。笑うことが久し振りだと気付いたのは日が落ちてからだった。 

 

 

【 五日目 ~2012年 7月20日(金)~ 】

 

 前日に考えた自力脱出を実行に移すことにする。午前6時には起床し眠らないように立ち続ける。当時、自分は小又谷にいるものと勘違いをしており沢を下れば川と合流して川を下れば出られるものと考えていた。地図を見ると間に堰堤や滝があるように記されているが高低差も少ないものと予想して沢下りを決行する。「もうすぐ脱出できる」と信じていた。

 朝は捜索隊やヘリが来るかもしれないので10:00までは目立つ場所に留まり 10:00以降に出発とする。今日は幻覚もなさそうだ。最後の食糧マッシュポテトを沢水で溶き半分食べる。と言っても二口程度の分量で苔の味がする何とも言えないマッシュポテトだった。残り半分はプラケースに入れて輪ゴムで密閉した。10:00を過ぎ辺りに変化がないので 沢を下って行く。程なく谷の出口に近ずく、明るい出口だった。本流とはある程度落差があるのは予測していたが出口は立派な滝であった。しかも直下20mはあろうかという滝・・・。本流は遥か下にありそこで合流していた。愕然としているところへ雨が降り出す。ここまできたら滝壺へ飛び込もうか、もしかしたら滝壺の深さが深いので行けるかもしれない、また滝の出口脇に岩があるのを見て岩を伝って滝を降りられないか?何とかして脱出できないかと半分やけくそになり滝に飛び込む決意に傾きかけていた時、雨がひどくなり我に返る。沢の水量も増えて来て危険を感じた。慌てて谷の中心へ戻ったころには大雨になり、水量はあっという間に5倍近くに増えていた。雷鳴が一日中鳴り続き、更には日没後も夜中ずっと降り続ける。雨具が無いのでザックカバーを肩に掛け、三角座りをしてひたすら耐えた。ビー玉大の雨粒が容赦なく身体を叩き続ける。「一体いつまで続くんだ?」と思ったが、文句を言って止むものではない 自然は人間の都合とは全く関係なく変化していく。これだけの雨に打たれ続けるのもあまり無い経験だ。雷もすぐ背後で鳴っているかというくらい激しいものであった。ここまで大きな雷鳴も聞いたことが無い。鼓膜が破れそうであった。

 自分がどこにいればいちばん安全かを考えたがやはり両岸の崖下は落石のリスクがあり選択肢から外れる。では川の中心だが もし雨量が増して土石流や鉄砲水などが来たら流されてお仕舞いだ。なるべく土が多く木々が根付いていて過去の大雨にも耐えて来たであろうと見受けられる中州を選んでそこに腰を下ろした。落雷のリスクを考えると木の近くも安全とは言えず木から程良い距離を置いた。

 一旦決めたら絶対に動くつもりはなかった。自分の決断と心中だ!来るなら来い!偉そうに書いているが当時は不安で不安で仕方なかった。何に対してかは解らないが祈り、お願いした。自然に抗うことの愚かさを全身に叩き込まれた。

 深夜、真っ暗な中自分がいるところにも上の方から水が流れてきた。座ったところから一歩も動けない、もしかすると中洲も流れに削られて一歩横はもう激流の中かもしれない。

 尿意を催したがもし立ち上がって沢に落ちれば終わりだ。一歩も動かず尿はその場に垂れ流した。

 雨粒で自分の体に穴が開くのではないかと思えるほどの激しい雨が一晩中続いた。昨日の朝10:00頃からなので ほぼ20時間以上降り続き、打たれ続けた。

 私は耐えることしかできなかった。「天祐自助」(天は自らを佑る者を助ける)卒業した中学校の体育館のステージ脇に掲げられていた額に書いてあった言葉だ。なぜかこの言葉が頭の中を支配しその意味を語る当時の校長先生が思い浮かんでいた。「雨が止んだら自らを助けよう、そうすれば何かが変わるはずだ」そう自分に言い聞かせた。

 これまでは会社の事やヤマレコの事、友達の事を良く考えていたが ここに来て一気に家族の事が思い浮かんできた。妻と子供達に強烈に会いたくなった。みんなに伝えたい事がまだまだある。今日は7月20日だ、明日から夏休みではないか 子供達はそれぞれ小学校と中学校最後の夏休みだ、夏休み前の1週間と言えば一番ワクワクする期待で胸いっぱいの時だ。その一番楽しい時間を父親の自分が勝手に山へ行き勝手に遭難して台無しにしているのだ。こんなロクでもない父親を見たことが無い。妻は最悪の事態をつもりしているだろう。今年父親が亡くなったばかりだ、父親と夫を同時に失うことになれば精神的にどれほどのダメージを受けるだろう。家族とはまだまだ一緒に過ごしたい、子供たちの将来の姿も見たい、さぞかし立派になるはずだ、少なくとも妻や子供に心配を掛けるようなロクでもない大人にはならないだろう。自分の不甲斐なさに呆れてしまった。情けないのと申し訳ないのと悲しいのと いろんなことで涙が溢れてきた。泣くぐらいなら最初から山へなど行くな!泣いても何も変わらないぞ!わかってはいるが涙が止まらなかった。

 夜が明けてきたが雨脚は一向に収まらなかった。

 

【 五日目 ~2012年 7月21日(土)~ 】

 

 昨日からの雨は早朝に上がったが身体へのダメージは相当だ。雨が上がった後すぐに眠り込んでしまった。目を覚ましたのは10:00頃、地図とコンパスを準備し再度自分のいる地点、脱出方法を検討する。川の流れる方向等を再度注意深く見てみると、あまり信じたくないが現在地は「ゴロ谷」だった。ずっと反対側の「小又谷」と思い込んでいた。R氏とゴロ谷からテーブルランドに乗りT字尾根からまたゴロ谷に落ちていることになる。背筋が凍りついた、「ゴロ谷からは脱出できないようになっているのか?」出ようとするたびに幻覚や雷雨に阻まれて自分がゴロ谷から生きて出ることは許されないのだろうか?

 昨日作ったマッシュポテトの残りを腐っているとわかりながらも食べる。今まで食べた中で最も不味い食べ物だったがデンプンであろうと何かしら摂取しなくては身体がもたないので我慢して口へ運んだ。

 そういえば最近股間がむずむずしている。恐る恐る肛門付近を見ると自分の肛門から次から次へとウジ虫が出てきている。どうやら自分の腸内で卵からかえり肛門から出ていくようだ、出口がないと気に入らないのか股間の皮膚に噛みついて暴れるのでとても痛い、沢の水の中に卵がありそれを飲むことにより体内でふ化するようだ。これも鹿の糞が媒体となっていて鹿の増加が関係しているのか。

 

 思案に思案を重ねた結果、沢を下るのではなく、尾根に上がる、それも御池岳側ではなくT字尾根の側に上がり稜線まで上がれば誰かに会えるだろうというもの。

 残された時間も少ないであろう、12:00過ぎに出発し比較的勾配の少ないガレ沢から取付き慎重に登って行った。直登が困難になると左右に巻き工夫をして何とか高度を上げていくが残り20%程を残して日没を迎えてしまう。 

 斜面途中の木の根周辺に僅かなスペースがあり、私は木にまたがり幹に抱きつくような姿勢で夜を迎えた。どこからかテレビの音声が聞こえてくる。「報道ステーション」のCM前のジングルだ。どこかに民家か別荘があるのか 試しに大声で助けを乞うてみる。「助けて下さーい」 しばらくするとカサカサとサンダル履きで駆け寄ってくる音がしたもう一度叫んでみる。警察へ連絡してほしいと叫ぶ、近くで電話を掛けているような会話が聞こえてくる。ありがとうございます。連絡していただいたのですね!何度も暗闇に向かって礼を言った。しかし、時間が経っても何も変わらないそれと今日は土曜日なので「報道ステーション」は放送されていないはずだ。昼夜を問わず幻覚が出てきた。

 深夜寝ぼけて足を踏み外し木から落ちそうになる。間一髪で踏ん張れた。それからは微動だにできない姿勢で一晩過ごし小便はまた垂れ流した。

 朝方、再び夢や幻覚を見たが割愛する。いずれも最終的に私を失望させる内容であった。

 

 

 

【 六日目 ~2012年 7月22日(日)~ 】

 

 朝目覚めると木の上だった。 しかし頭の中では救助隊が既にこちらに向かっているという状況が出来上がっている。ほんの少し上の尾根の方からもいろんな人の声が聞こえ辺りがざわついていた。近所のおじさんの声、飼っている犬の声聞き慣れた声がたくさん聞こえる。

 そんな雰囲気の中自分は木の上で安心して待っている。昼頃のどの渇きを訴えるとお茶を用意してくれるという。楽しみにして待っている。

 しかし、いつまで経ってもお茶も出ない救助も来ない「「はっ!」と気がつくと時刻は13:30「しまった!また幻覚にやられた!」「どうしよう、この時間からではもっと早く上を目指さなくては 」と考えたが持ってきた水の量が0になっている。今降りたら体力的に再び登ることは困難だろう。とすると谷底で救助を待つしかない、しかし今まで何日も待った。これ以上待っても全く期待できない。かと言って残りの20%の行程を水分補給なしで安全に登れる自信もない。

 万事休す。「もう終わりか」とそう思った時、下の沢から声が聞こえる。しかも自分の名前を呼んでいる。こちらからもあらん限りの声で叫ぶが届かない。意を決して「降りよう彼らがいる所へ!出来るだけ早く」思いきって滑り落ちるように下りる。落ちて死ねば死んだ時だ!全身打撲とすり傷になりながら落ちる。 半分程下りたところでコッヘルを何度も叩き大きな音を出してから投げ落とす。一眼レフを投げる。望遠レンズを投げる。それでも下の人に気付いてもらえない(当然ながら下の人も幻覚)残り3分の1のところでザックも投げ落とす。

 ついに丸腰だ、会社からも捜索に来てくれているのか会社の同僚の女性の声がする。「川崎さんのためにここにジュースを置いて行こう」この様な会話が聞こえた(これも幻覚です)しかしこの会話を聞いたとたん、自分のやけくそ気味の下降にブレーキがかかった。「死ぬまでに彼女が置いて行ってくれたジュースを飲もう!」それまで死んでも仕方ないと思ってギャンブルで飛び降りるように下降していたが急に慎重になった。最後の2mはザレた斜面を滑るように落ちた。途中でメガネまでどこかに行ってしまった。

 それでも、やっとの思いで川辺に下り立ったがジュースがない、しかも極端に体力が低下している。沢の水を何とか口に含みフラフラと立上がるが一歩進むのがやっと川べりから何とか中洲に這い上がろうとするが全く力が入らない。中洲の高さは1mぐらいだろうか、50cm程までに這い上がった時中洲の反対側に小川が流れており その川の向こうに親子の3人連れと中年男性がいる。ラジオ放送が流れていて野球中継を放送していた。「三途の川」かと呟く。その川の岸辺に先程のジュースらしきものが冷えていた。履いている靴が重くて片足の靴は脱げたが もう片方を脱ぐ力がない、少しでもジュースに近付こうとするのだがたった5cm、10cmがどうしても進まない。

 川の向こうの人達が楽しそうにしている。ラジオ放送は霊会の放送か?音にエコーがかかった大袈裟なステレオのような 変な響きがある。

 

 しばらくその場に倒れ込み動けなった。どれくらいの時間が経っただろうか、ヘリが2度上空を通るが手を振る力も無かった。眼鏡もなく周りも良く見えない。

 肛門からはウジ虫が誕生し続けている。全身山ヒルの噛み跡だらけだ。ムカデにも脇腹をやられている。もう一日は死なないと勝手に計算していたが どうやらこの調子だと 眠ったら二度と目が覚めることは無いような気がする。眠るように死ぬのか、「ちょっと待ってくれ!」「くそ~っ! このままのたれ死んで虫のエサかぁ」何を言おうが、死ぬ時は死ぬのだ。恐怖と同じくらいの安堵感もあった。もうこれ以上苦しまなくていいんだという解放への期待だ。終りってこんな感じなのか、確かに三途の川が見える。

 

 その時は突然やって来た・・・(街で偶然知り合いに会うような感じだ)人の気配がする。久々に人間の気配だ!2人程の人影が見える。最後の力を振り絞り手を振る、声にならない声を振り絞る。一人が近づいてくる 女性だ、「遭難してます、川﨑と言います」 女性は えっ!という顔をしながら「生きてる!よかった!」と叫ばれた。

歓喜の声と一緒に複数の人が来るのがわかった。「水を下さい!」と言うとアクエリアスを一口いただいた。これが今まで飲んだ中で最もおいしい飲み物だった。口の中できらきらと輝いていた。一口が全身に浸み渡って行った。

 さっきまでいた川の向こうの人たちの姿はどこにもなかった。リーダーらしき人が無線で報告していた。「生きてます。手を振ってます。みんな「良かった!」「よかった!」を連呼していた。ジュースを探してもらったがそれも どこにもなかった。

 

 

 自分の中ではまだ半信半疑だった。もしかすると幻覚かもという疑念が振り払えなかったが「川崎さん!」と呼ぶ声に目をやると色黒の精悍な男性がおられた。「Toshiです」「エッ!Toshiさん」ヤマレコユーザーで私が師匠と勝手に思い込んでいる「Toshi42」さんだった。「初めましてこんな形で・・・・でも会いたかった」涙が止まらなかった。そして涙の温かさでそれを現実と認めることができた。

 時間ギリギリでヘリを飛ばして搬送いただけるとのことでヘリに引き上げられていく、ヘリに乗り込んだとたん全ての緊張が消えていった。「助かった」と言うより「終わった」と言う気持ちの方が大きかった。

 

 

 

~あとがき~

 

 私が知りうる限りの感謝の言葉どれも当てはまらず、全部並べても足りず、この気持ちをどのように表現すればよいかわかりません。

 

 お読みいただいた通り些細なボタンの掛け違いが最終的に大事に至りました。今回に限れば持ってこなかったもの[雨具、ヘッデン、ビニールシート、予備のガス、非常食、]いつもならザックに入っているものまで入ってませんでした。そして何よりも水分です。特に夏場に脱水症状になるとまともな判断ができず危険な高さから水場へ飛び降りることを平気でしてしまいます。遭難者が沢で倒れているのを発見と聞きますが 水を求めて無理な高さから沢へ飛び下り死亡するケースもあるのではと思いました。思いがけないビヴァーグにも対応できるほどの水分持参でも多過ぎることはありません。

 そして 行き先を誰にも告げずに行ったこと。家族宛てにメモは残しましたが内容が山には行かないとか、かなりいい加減なメモであったので家族も重要に感じず破棄されてしまいました。 

 もう一つ悩まされたのが「幻覚」です。極限状態の中、脳は少しでもリラックスや安心を求めて都合の良い幻覚を見せます。これは夜間野宿で眠れていないことも大きな原因であり、ツエルトやシュラフを準備しておくだけで睡眠不足を防ぐことができます。遭難しても充分な睡眠と食糧、水、これだけで身体への負担を減らして自力下山の体力が作れます。今回の私の場合はかなり早い段階で幻覚を見ていたようです。

 ケガで動けない時は自分の居場所を知らせる道具、発煙筒、ジェットホイッスル(普通のホイッスルでは音が小さい)森の中でも目立つ色のウエアー、通常はあまり薦められませんが たき火も非常時には有効なアピール手段だと思います。今回なぜ自分は火を起こさなかったのか後で考えると不思議ですが、近年の登山ではたき火は起こさ無いため火を着けるという発想が無かったのだと思います。登山はアウトドアの活動で家庭生活の延長ではありません。ましてや単独行ですから自分が用意しなかったものは現地にはありません。

 

 そして今後必要と感じたもの

ツェルト、シュラフ、発煙筒、ジェットホイッスル、GPS、ドライフード、予備の携帯バッテリー、小型ラジオ、多機能リストウオッチ

 誰もがこのような事態に巻き込まれる可能性はあります。私は一貫して「安全に家に帰る」を最低条件に行動したつもりです。この行動はその条件に適合しているか 常にそれを念頭に行動しました。ただそれが生死を分けたとはとても思えません。生死を分けたのは皆様のお力と偶然の積み重ねです。何が災いし何が幸いしたのかは未だにわかりません。

 ゴロ谷、ボタンブチのキーワードでNさんの存在を感じずにはいられませんでした。あらゆる局面で私に力を貸してくれていたように思います。でなければ薄暗い中でのボタンブチへの直登や木に抱きついて落下せずに一夜を明かすなどは自分ひとりの力では説明がつきません。

 

 この遭難後の診断結果を報告します。

・高度脱水症 ・全身打撲 ・多発性皮膚潰瘍 ・はえ幼虫症 ・内部蛭寄生症の疑い

 

 

 

 最後まで読んでいただいた皆様へ

 私も経験した悲惨な山岳事故防止に少しでもお役に立てればと思い このような《遭難記録》をネット上にアップしました。些細なことが遭難と安全登山を分け、生存と死亡を分けます。些細なこととは心の備えと持ち物の備えだと思います。心やザックの隙間を「魔」が狙っています。

 どんな簡単な山行でも最後まで適度な緊張感を持って山行を心より楽しんでください。

 皆様の安全登山、無事下山を祈念しております。

2012年7月28日

     パーキンソン病の山登り yucon

 

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